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平城遷都1300年に想う。



平城遷都1300年祭を記念して難波宮跡から平城宮跡まで、
友人5人と暗がり峠を歩いて、ナイトウォークしました。

遠くいにしえに人が、大阪から多くの方が歩いた道です。

歩きながらいろんなことを考えました。
平城京(へいじょうきょう)のあった時代から、
私達は、電話も、テレビも、インターネットもすぐ近くにあり、
なに不自由なく暮らせる時代に暮らしています。

でも現在、人と人の繋がりが希薄になり、
様々な暗い話題ニュースが溢れています。

一度、歴史を振り替って考えること大切ね。


















暗峠(くらがりとうげ)は、奈良県生駒市西畑町と大阪府東大阪市豊浦町との境にある峠。
現在は国道308号及び大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線(重複)が通る。
標高は455m。

暗越奈良街道の生駒山地における難所で、特に大阪府側は急勾配が麓から峠まで約2.5km続く。
国道とはいえ自動車で通行するのは困難なほど道幅は狭く、
関西酷道マニアにとっての聖地であり、ハイキングコースとしても有名である。
峠の頂上には小さな集落があり、茶店もある。
また、この付近のみ、路面が石畳になっている。
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であったことに由来している。

また、「鞍借り」、「鞍換へ」あるいは「椋ケ嶺峠」といったものが訛って「暗がり」となったとする異説もある。
上方落語の枕では、「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返ることから、
鞍返り峠と言われるようになった」と語られている。

江戸時代に刊行された『河内名所図会』には、
「世に暗峠という者非ならん......(中略)......生駒の山脈続て小椋山という。故尓椋ケ根の名あり、
一説尓は此山乃松杉大ひ尓繁茂し、暗かりぬればかく名付くともいう。」と記されている。
井原西鶴の『世間胸算用』にはこの峠の近くで追い剥ぎが出たという記述がある。
1694年(元禄7年)9月9日、松尾芭蕉が大坂へ向かう途中この峠を通った。
このとき「菊の香に
くらがり登る 節句哉」という重陽の節句にちなんだ句が詠まれたという。
wikiより転載


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