あの日を決して忘れない。
1995年1月 その朝、強烈な揺れを感じた。 でもこの揺れは、今まで感じたことのない感覚がありました。 その頃、会社勤めをしていた私は、 その間にもテレビには、次々と倒れたビル、家。 テレビを見ていた私も涙が止まりません。 地震後、神戸に向かいましたが、 大阪から、船で神戸につき その間、倒れた家、跡形もない崩れたビル。 ONE 私も人のために、役に立つ人になりたい。 最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。 道端俊彦
17日 AM5:46
6,434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災。
大阪に住む私でさえ、飛び起きるほど強い揺れでした。
すぐにテレビをつけましたが、テレビのテロップにも
簡単な震度が最初はでるくらいでした。
それから、しばらくして映し出される目を覆いたくなるような
映像が飛び込んできました。
すぐ近所に住む上司と連絡を取り合いメンバーの安否の確認、
現状の把握に努めました。
斜めになった高速道路。止まらない火災。
涙、悲鳴、絶望。
何度も何度も頬を拭っても涙が止まりません。
電車も当然動いていません。
当時取引先だった神戸阪急さんの現場復旧。
その後、大阪に帰る電車がなく、
会社の仲間と何時間もかけて大阪の近くの駅まで歩きました。
喉が渇いても、電気が通ってないので、
コーヒーも、ジュースも買えません。
その光景は、映画を見てるようでした。
でも、人は一人ではありません。
人は、一人では何もできません。
FOR ALL
ひとりは みんなの ために・・・
ALL FOR ONE
みんなは ひとりのために・・・
そう思って、布団をお届けしています。